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決意の飛翔

第二章/ルゴシク山

もはや参道を下りるのも危険な状態だった。
先に山頂を出発した倫たちがどこまで進んでいるかもわからない。
「わたしが下まで運ぶ」
夏季の心臓は激しい鼓動ではちきれそうだった。
力を使え。
誰かがそう語りかけてくる。
そんな未知の声の言うことを鵜呑みにするのは馬鹿げているのはわかっていたが、しかし。今は3人が助かるためにはそれがいちばん良い方法だと、夏季は思った。
何かを察した様子のラートンが、突然顔色を変えた。口を半開きにして、ゆっくりと首を横に振った。
「まさか……まだそれが背中にあるのか?」ラートンが眉をひそめた。「なぜ黙っていた?」
「言えないよ。あなたに消してもらったはずの黒いものがまだあるだなんで、それではわたしはまるで悪魔でしょう」
「そうじゃないだろう。そんなものいくらでも消してやる。何度だって、完全に無くなるまで、俺が消してやる。俺はそういう人間だ」ラートンは滲み出る怒りを必死に収めようとしているようだった。その目は爛々と闘志が燃えている。
「わかっている」夏季は涙を拭いた。
「ならばなぜ……俺を頼らない?」ラートンが言った。
「悔しいのよ。わたしが……もっと強ければ……勝てるはずだから。そうやすやすと頼ったりすると、あなたに負けるような気がして」
いよいよラートンは呆れた様子で口を開いた。
「すでに一度は俺の力を借りただろう。それにたった今こだわることが、くだらないプライドで俺に負けたくないだと? 君は大バカ者だな」ラートンの声は次第に大きくなっていった。
「あなたに言われたくない。どのタイミングで頼ればいいのか教えてよ。いつもいつも、『甘えるな』と突き返すくせに!」
カチンときた夏季が即座に言い返した。
「やめなさいよ2人とも。こんな時に喧嘩?」六季が苦笑いで口を挟んだ。
誰のおかげでこの状況になっているのだと、夏季とラートンは同時に六季をじろりとにらんだ。
「でもそれでよかったの。今この力が役に立つならば」夏季はため息をついて言った。
「そんなもの。今すぐに俺が消し去ってやる」
ラートンが手のひらを夏季の方に突き出した。
「お願い、シエ・ラートン。この力を使わせて」夏季が泣きはらした目で慌てて言った。
「君一人に背負わせるわけにはいかない」ラートンが怒りを露わに、激しく夏季に言い寄った。
「大丈夫だよ。麓に降りるだけだから」夏季が疲れ切った顔で、悲しげに微笑んだ。
「君と母親だけ降りろ。俺は一人でなんとかするから」ラートンが吐き捨てるように言って、拗ねてしまったかのように、夏季から目をそらした。
「なんとかって、どうするつもり?」夏季が声を上げて笑った。「今いちばん簡単な方法はわたしの翼を使うことでしょう。こういう時まで難しく考えないでよ。ほら……ここももう崩れてしまう……」
地響きは鳴り止まず、山の崩壊が始まっている様子だった。

夏季は背中にうごめく力に抵抗することを諦めた。その途端、それは背中をやぶり黒い塊が突き出した。夏季の叫び声と共に大きな翼が広がった。あたりの地面には黒い羽根と、点々とした血の跡が散らばっている。
「ああ。夏季。ほんとうにごめんなさい。こんな思いをさせて。バカなわたしを許して」六季は地面に跪き、祈るようにして震える両手の指を組み合わせた。
「いっしょに帰るんだ。セボへ……!」
夏季の背中の黒い翼はみしみしと羽ばたいた。夏季は額に汗をにじませて、痛みに顔をしかめながら、羽の動きを止めなかった。
夏季は母親の手と、ラートンの手を強く握りしめて、背中の羽根をいっそう力強く羽ばたいた。ラートンが反対の言葉を重ねる間も無く、3人の身体は宙に浮いた。同時に彼らがいた足場が粉々に崩れ去った。轟音を響かせて崩れていくルゴシク山を眼下に眺めながら、3人は麓まで滑るように降りていった。

倫や俊、カイハと、それに哲は一緒に地面に座り込み崩れる山の様子を眺めていた。
「助かった」俊が呆けた顔で言った。
「哲のおかげね」倫が深く息を吐いて言った。
「よく無事で」カイハが哲の顔を覗き込んで、微笑んだ。
哲は深く呼吸をしてから、口を開いた。
「落ちてしまったとき、『風』の力が使えたおかげで衝突はしなかったんだ。地面が目前に迫ったときに、咄嗟に自分の身体を『風』に煽らせていた。無意識だった。たぶん生きたかったんだと思う」
哲は言葉を切ると、しばらく下を向いて、そして目尻を拳で拭った。カイハが神妙な面持ちで哲の様子を見守っている。倫と、俊は、哲の歪んだ口元と、目尻に光る涙が見えない振りをしていた。哲は再び口を開いた。
「それからみんなに追いつこうと登っていたら、ものすごい形相で下ってくる君らが見えて」
「飛び降りろって言われたときはフザケンナとしか思わなかったけど」俊が哲を睨んだ。
「俺を信じてよかっただろ」赤い目をした哲が顎を突き出して、フフンと笑った。
「へっ」俊が悔しそうに、そして少し照れくさそうに顔を背けた。
「何か飛んでくる」倫が空を指差して言った。夕空をはばたく黒い巨大な翼に気づき、怪訝な顔をしていた。
「魔女の手先か?」俊もそれを見つけて言った。
「いや……違う……あれは、まさか」哲が驚き目を見開いた。
「嘘でしょう。そんな」倫の顔が青ざめた。
「行きましょう」深刻な表情のカイハが言った。
彼らのいる場所からずいぶん離れた場所に、それは降り立った。

六季とラートンの足が地面に降りた。そのすぐ後に夏季が静かに降り立ち、黒い翼を地面に下ろした。翼が生えている背中は血に染まっている。夏季の目はうつろに地面を見つめており、少し茶色みがかっているはずの瞳は、黒く曇っている。
六季とラートンが夏季に近づいた。
「夏季。夏季。着いたよ。あなたのおかげよ」六季が優しく語りかけた。しかし夏季は反応しない。
「夏季」ラートンが前に進み出て肩に手を触れようとした。
稲妻のようなものが二人の間に流れ、ラートンの手がはじかれた。よく見ると夏季の右半身は黒い痣に覆われている。
「夏季。今消してやるから」
ラートンが手のひらを夏季の顔の前にかざした。
すると夏季の瞳に光が戻り、ラートンの手首をガシッと掴んだ。
「待って」夏季が言った。「このままセボまで飛んでいく」
「何を言っているんだ?」ラートンが信じられないと言うように、目を見開いた。
「リカルカに追いつくためにはそれしかない。同じ力を使えばそれほど差はつかないはず」夏季がラートンの目をまっすぐ見上げた。
「しかしそれでは君が『黒』に支配されてしまう。先ほどの様子からそれは明らかだ」ラートンが言った。
夏季は一度目線を外してから、ふたたび口を開いた。
「……だから、あなたの力を貸してほしいの」
「俺の力?」
「あなたを運ぶから、わたしを制御して」
「俺を運んでセボまで飛ぶつもりか? ふざけているのか?」
「どちらにしてもセボに着いたとしてあなたの力は必要よ。わたしはそのときにどうなっていても構わない」
「ふざけている……どうかしている……」ラートンが困り果てた様子で、自分の頭をくしゃくしゃと両手で掴んでいた。
「夏季。もう決めたのね」六季が口を開いた。
夏季が六季の目を見て、しっかりと頷いた。
「シエ君。夏季の言う通りにして」
六季がラートンに向かって言った。ラートンは、六季に向かって何か言おうと口を開きかけた。六季はラートンを無視して夏季の方に向き直った。親子の視線が交わった。
「それがあなたの本気なんでしょう。『失ってからでは遅い。そうなる前に本気を出して』」
六季が言うと、夏季は深く頷いた。
遠くの方から、倫たちが駆け寄ってきた。

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