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使命と懺悔

第二章/亡人の志し

樹木が薄くしげる木陰の中で、倫の口から出た「バカ」という言葉の回数をきちんと数えた者はいなかったが、確実に数十回はそう言っていた。それもかなりの剣幕で。それでも夏季は背中を血に染めたままで言い張った。
「ラートンを運んでセボまで飛んでいく」
「だから、バカじゃないの!? あんた死ぬわよ!」倫が唾を飛ばしながら言った。
「生きるか死ぬかなんて今さらなにを言ってるのよ! セボを出発したときから……、いや、違う」夏季は負けじと声を張り上げた。
「この世界にやってきて、オスロ師士からなぜわたしたちが召喚されたのかを説明されたその時から、倫だって薄々気付いていたでしょう! わたしたちの命はこの世界のために投げ出さなければならないのよ!」
倫が口を開いたが、パクパクと動くばかりで声は出てこなかった。
「それは違う」
ラートンが唐突に、しかし静かに口を挟んだ。
「その心意気には感心だが、命を投げ出すよりも先に出来ることがある。我々には特別な力が授けられていて、まずはそれを有効に使うことを考えなければ」
夏季はラートンの方へ向き直った。
「じゃあ教えてよ。討伐しにきたはずのわたしたちを放ったらかしで、どこかに、おそらくセボの城下街に向かってしまったリカ・ルカに追いつくために、何かいい方法があるのなら今ここで言ってよ! 他に方法がないなら黙ってわたしの言うことを聞いて!」
ラートンはとても落ち着いていた。倫と夏季が互いにわめき散らし、挙げ句の果てに息をきらしている目の前で、冷静に、そして真剣に考えている様子だった。しばらく思案にふけった様子であったが、やがて口を開いた。
「本当にそう焦る必要があるのか? セボには誰もいないわけではない。ハリルをはじめとした兵士たちも、そう簡単に魔女にやられるとは、俺は思っていない」
夏季と倫はほとんどラートンを睨みつけていた。夏季はラートンに対する疑念から。倫は、単純に、言い争いに割り込まれたことに立腹している。
「それに、俺の力は君のその背中が醸し出す真っ黒な力を制御するために授かったものではないと思うのだが」
ラートンが夏季に問いかけるような調子で言った。
「直接でなくても、それが結果、セボを救うことになるのなら、使い方などどうだっていいんじゃない?」夏季が眉を上げた。「あなたはいつでも手段を選ばないはずでしょう」
ラートンは小さくため息をついた。困るというよりは、呆れているようだった。
「そこまで言うのなら。君の気が済むようにしてみたらいい」
「何言っちゃってるのよ……。ラートン隊長ともあろう人が!」倫はラートンに向かって、小馬鹿にするように言った。
「本当にそう思っているのか、ラートン?」一歩下がって喧騒を見守っていたカイハが、怪訝な表情で口を開いた。
「これだけ頑固に言い張るのだから彼女にはよっぽどの算段があるのかと思ってね」ラートンの口元は微かに笑っていた。
「うーん」
皆が振り向くと、晢が顎に手を添えて唸っていた。彼もまた、悩ましげな顔をしていた。そしてやがて顔を上げるとポンと手を打った。
「援護しよう。俺が追い風を吹かせれば、夏季の翼でより速く先へ進めるんじゃないかな」
倫がつかつかと哲のところまで歩いていった。そしてぐんと詰め寄り、顔を突き合わせた。
「ちょっと哲。あんた夏季が大事なんでしょう。今までさんざん守ろうとしてきた大事なガールフレンドじゃないの」
しかし哲は凛とした態度を崩さなかった。
「もちろんだ。でも。もうわかっているから。俺がよかれと思って彼女を守ろうとしても駄目なんだ。夏季、君はそれを断るだろう?」
「ありがとう、哲。本当に感謝するわ」夏季は胸に手を当てて、哲に礼を言った。
「それならば、わたしはセボに向けてささやかな伝書と」カイハが宙に手をかざすと、彼女の手から数羽の小鳥がはばたいた。小鳥の身体は少し青白く透き通っている。「トラルに所縁のある者たちに後方からの敵軍攻撃を提案してみよう。うまくいけば挟み撃ちに持ち込めるのではないかとふと思い立ってね」
「それはいいアイディアだな」俊がニヤリと笑って顔を上げた。「じゃあ俺もカイハと一緒に宿場町の連中をけしかけてくる。倫はどうする?」
「嘘でしょう。みんな夏季がどうなってもいいの?」倫は心底驚いた様子で皆の顔を見回していた。どこか楽しげな周囲の人間のことを、まったく信じられない様子だ。
「どうしたの、倫? いつでも合理的に考えてくれるじゃない」夏季も、流血する背中はしんどく疲労は隠しきれないが、笑顔だった。
「こんなこと、合理的に進めたら……あなたは……」倫が食い下がった。
「わたしは大丈夫、なんて気安い言葉は言えないけど、倫が思っている以上にわたしは自信が、何よりもやる気がある」
夏季が額の汗を拭いて言った。表情は明るい。
「それに、みんなわかってくれている。なんとかしたいっていう気持ちはみんな一緒なんじゃないかな。だからわたしのバカみたいな提案に、協力しようとしてくれている」
みんなそれぞれ守りたいものがある。
夏季は知っていた。カイハが守りたいものは彼女の住処だ。彼女は悠久の時を孤独に静かに暮らしたい。魔女の台頭によってその場所を荒らされることなどもってのほかなのだ。哲が守りたいのはユエグ親子だ。彼はユエグ家に居候することで、しばらく失っていた家族というものを、新しい形で見つけたのだ。俊が守りたいのはセボの酒場だろう。ただただ楽しむために、一緒に飲み交わしてくれる仲間の兵士たちだろう。
ラートン隊長が守りたいものは、胸が痛むほどによくわかっていた。彼の帰りを待ち望む人間は、もはやベラ王女だけとは限らないのだ。彼はセボの重役で国を成り立たせる上で欠かせない人間となっていた。その責任を全うしようといている。
「ごめんね、夏季。わかっていないのはわたしだった」倫は肩の力を抜いた。「そうよね。セボに遊びにきたわけじゃなかった。わたしたち、オスロ師士が命懸けで示してくれた使命を果たさないとね」
眉を下げた倫に向かって、夏季は小さく会釈をした。
「それならわたしだって、やはりセボに帰らなくては」倫の目には再び火が灯ったようだった。「少なくとも、魔女がセボに着く頃にはわたしも出来る限りセボの近くにいなければならない」
「どういうこと?」夏季が首を傾げた。
「わたしだって役に立ちたい」倫がキリッと天を睨んだ。
「じゅうぶん役に立っている」カイハが深く優しく言った。
「今ここで役に立ちたいじゃない。夏季のために。夏季が想うセボのために、何かしたい」倫が涙をこぼした。
「おい、倫。お前にそういうの似合わないからな。今さらメソメソしてんじゃねーよ!」俊が野次を飛ばした。
「俊こそこんな時くらい空気を読んでくれよ」哲が大きなため息をついた。
「まあ、ブレないっていうのも貴重なんじゃないの」六季がぽつりと言った。
あなたもだけどね、と、何人かが六季に視線を送った。
「わたしが守りたいものは、夏季、あなたよ。必ず生きて、セボで会いましょう」六季が言った。
夏季は何度か目を瞬いて、指で目元を拭った。そして口を開いた。
「わたしが守りたいものは、みんなが守りたいもの。だから、お母さんが守りたいものがわたしだから、わたしはちゃんと生きる。生き残ってみせる」
「よくぞ言ってくれたわ。さすがは我が娘」六季が夏季の両肩をぎゅっと掴んだ。

「どうやって行く?」ラートンが夏季に訊く。
「どうやってって、なにが? 飛ぶんでしょ」夏季が自信ありげに答えた。
「いや、どう2人で飛ぶのかと」
「ああ。うーん、どうしよう? 手を繋ぐんじゃおかしいし、さっきみたいな宙ぶらりんだと腕が抜けそうだし……」
夏季は急に困った様子になった。
「背中に乗れるのか?」ラートンが続ける。
「わからないなあ。試しに肩に掴まってみてもらえ……ますか?」
「なにを急にかしこまっているのよ」倫が吹き出した。
「いや、そういえば話し相手がラートン隊長だったなって思い出しただけ」夏季が決まり悪そうに言った。
「別にいいんじゃねーの。同じ『使い』なんだし」哲が少しブスッとして言った。
「俺が羽根を制御しなければならないのであれば、やはり背後がいいだろうな」ラートンは構わず続けた。
「ではそれでい……きましょう」夏季が話し辛そうに言った。
「夏季を頼んだわよ、ラートン隊長」倫がラートンの背中をバシバシ叩いた。
「気をつけて。我らそれぞれがするべきことを為すまで」カイハが言った。
「がんばれ、夏季」六季が悲しげに微笑んだ。
「セボで会おう」ラートンは一貫して真顔だった。
「ありがとう、みんな」夏季が笑顔で言った。

夏季の異変は皆が感じ取った。黒い翼を動かした時はその痛みに顔をしかめたものの、その一瞬後には顔は黒いあざに覆われて、それはもはや夏季ではなかった。皆は悲鳴をあげ、ラートンは顔をしかめた。
やはり夏季にこの力を使わせることは危険なのではないだろうか。
いくら守られることが嫌いとしても、いざとなれば俺が決めるべきだろうな。
そう思いながら、ラートンは夏季の肩につかまった。
2人は空へと飛び立った。

「行ってしまった……」
倫の両目から涙があふれ出した。
背後から嗚咽や、すすり泣きの声が聞こえて、倫ははっとして振り向いた。
「ごめんなさい。夏季。悪いのはわたしよ」
六季は地面にひれ伏し、肩を震わせていた。
倫とカイハは六季のそばに歩いて行き、六季に顔を上げるように促した。
「さあ。六季。夏季のために、わたしたちも前に進みましょう。それがセボのためにもなる」カイハが少し厳しい口調で言った。
「そうよ。あなたは気丈でいた方がお似合いよ」倫もカイハに倣って言った。
「もう無理よ。わたしはなんてバカなのかしら。こんな母親を持ったあの子が可哀想」
哲が、両手のこぶしを握り締め、足を踏み鳴らして六季の方へやって来た。そして六季の胸ぐらを掴んだ。
倫が悲鳴を上げた。カイハも驚いている。
「哲! なにするんだ!」俊が哲の肩を掴んだ。
「本当にそう思いますか?」
哲の声と、手が震えていた。
「俺は母親がいるだけでも夏季がうらやましい。でも、憐れむなんて、なんてひどい母親なんだあなたは。誇ってください。夏季の旅立ちを見届けたことを。俺の死んだ両親は、今のあなたを張り倒したいだろう」
俊は哲の肩から手を離した。そして、倫とカイハと共に、一歩後ろに下がった。
「決して可哀想ではない。夏季のことを貶めないで。お願いだ」哲が涙を流して、訴えた。
哲は六季のTシャツから手を放し、背中を向けた。そして夏季とラートンが飛び立った方角を見つめて、手のひらをかざした。辺りには風が吹きはじめ、風は大きなうねりを作ると砂ぼこりや木の葉を巻き上げながら、空高く昇っていった。『援護する』と申し出た自らの務めを果たすために、既に行動を起こしていた。
六季は口を固く結んだ。
「あなたの言う通りよ。今後一切弱音は吐かない」六季は哲の背中を見つめ、語りかけた。「ありがとう、哲くん。あなたのような仲間がいて、夏季は幸せね」
カイハがポンと、六季の背中を叩いた。倫と俊は哲のそばに行き、励ますように、かたわらに寄り添った。
「わたしたちも出発しなきゃね」倫が言った。
「俺とカイハは宿場に向かおう」俊が言った。
「わたしと哲も馬を取りに一旦宿場に行くわ。そしてすぐにセボに向かう。六季さんも一緒に」倫は、俊と、次に六季の目を見て言った。
「ご一緒するわ。夏季を追いかけなきゃ」六季はしっかりと頷いて、鼻をすすった。

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